ある日の永谷天満宮 「日本三躰 永谷天満宮 〜至誠・学問の神様〜 御祭神 菅原道真朝臣命(すがわらのみちざねあそんのみこと) 御由緒  御祭神である菅原道真公は、殊に学問・諸芸に秀で、有能なあまり、時の権力者達に無実の罪を着せられ、九州は遠く大宰府に左遷されてしまう。  延喜二年(902)、道真公は大宰府に着任してから、ご自身のお姿を三躰の木造に彫刻し、その内の一躰を秀才淳茂公に下賜された。淳茂公はこの御像を関東に持ち帰り、永谷郷に居を構えて朝夕崇拝なされたのである。  その後御像は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾等の多くの人々を経た後、明応二年(1493)丑年二月、上杉刑部太夫、藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに社殿を造営し、御神躰として奉ったことが永谷天満宮のはじまりであると今に伝えられている。」 (立て看板より) 説明 {{ref_image nagaya(1).JPG}} 本殿 {{ref_image nagaya(2).JPG}} 参道階段脇の桜を望む {{ref_image nagaya(4).JPG}} 灯篭の下に狛犬?が {{ref_image nagaya(5).JPG}} おみこし {{ref_image nagaya(6).JPG}}